育休ino-9からの→学童保育【いのまん】起業に向けて

男性の育児休暇についての経験を書くという名のほぼ育児日記 から夢を叶えるための日記へ

学童保育【いのまん】の起業に向けて17日目

もう二日前になるのか。。。あっという間だなと感じる。

日曜日(4/17)に行われた「第13回 水都大阪ウルトラマラニック(100km)」について振り返りながら書く。

 

1.朝の準備(4時半)

朝、まだ暗いうちに目が覚める。時計を見ると4時ちょうど。日頃から、この時間に目があくことが多いので、今日もいつも通り目が覚めてくれた。習慣ってすごい。

昨日寝たのが0時半だったので、せめて4時半までは…と頑張って二度寝したが、上手く寝付けない。それでもなんとか睡眠時間4時間の状態までもっていけた。そして次に危惧していた大便。ここでしっかり出せるかどうかで、今日の走りに影響がでる。結果、成功。昨日の23時半に食べた松屋の牛丼特盛をいい感じに消化してくれてよかった。ここで大きな不安要素だったものを取り除けたのはよかった。準備を整え部屋を出た。

2.ホテルから会場へ(5時)

フロントに降りて行く。チェックアウトだったが、荷物はホテルで預かっておいてくれるという。ホテルアゴーラ守口!ここに泊まってよかった!ほんと感謝!そして、ホテルを出ると明らかに「ウルトラマラソンの出場者だな」というおじいさんに出会った。スタートの淀川までの行き方が曖昧だったので、すかさず話しかける。

「いやー少し寒いですね」

そう言って、スタート地点までお供させてもらった。話を聞いていると、前回もこの大会には参加していたのこと。愛知県から来たこと。前回の大会は30度まで気温があがったこと。去年は70kmでリタイヤしちゃったから、今年は100km走りたいなぁ。とか、色々なことを教えてもらった。一番印象に残ったのは「フル(42.195km)だとだんだんタイムが出なくなってきたからこっち(100km)に出るようになったの」という話。ウルトラマラソンの参加者の年齢層が比較的高いのがわかった気がした(比較的高いかどうかは自分の主観ですけどね)

楽しく、お話を聞かせてもらっている間に会場に辿り着いた。そして、互いの健闘を祈り、スタート準備のために別れを告げた。ありがとう。愛知から来たおじさま。

3. スタート(5時半)

5時50分。スタート10分前。運営の方からの挨拶。「コロナ禍の中ですが、開催できてよかったです!前回は10月なのに、30度という大変暑い日となりました。それに比べたら今日(22度)は天国です。みなさん!がんばりましょう!」

開催してくれるだけで感謝である。

そして、カウントダウン

10…9…8…7…6…5…4…3…2…1…0…スタート!!

4. 0~10km(6時)

ここで頭に靄がかかりだした。寝不足がたたり眠気がおそってきたのだ。原因はタイム測定アプリを起動しようと携帯を見たら「昨日の睡眠時間4時間」というデータが目に入ってしまったからだと思う。そのため、はじめの1kmは8分かかった。先は長いから慎重にアップがてらというのもあったが、とにかくきつかった。1km8分で走ることなんて今までほぼなかったのに。この時点では「完走無理かも」という考えがずっと頭をよぎっていた。ペースも全くあがらない。つらいスタートとなった。

5. 10~20km(7時半)

徐々にペースも上がってきたものの、まだ頭がボーっとしていた。「だって昨日4時間睡眠だしなぁ」とか「東京帰りで身体も疲れているしなぁ」とか。とにかくネガティブなことばかり考えてしまっていた。さらに、脚の筋肉が早くも痛み出してきた。日頃20km走ってて、こんなに早く痛み出したことは、ここ最近なかったぞ!と不安と焦りがどんどん募って行った。「今回は無理でもしかたないか・・・」と完走できなかった時の言い訳ばかり探していた。

 

6. 20~30km(9時)

日も上り気温もあがってきた。眠気が少しずつとれてきた。しかし相変わらずの疲労感。あぁ~きついなぁ。これは途中リタイヤかぁ~なんて思っていたら、二日前に読んだ、小林正観さんの「神様を味方にする法則」の本の内容が、ふと頭をよぎりだした。

 

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【どんなときも「ありがとう」という力】
実は、本来の私たちには、
すべてのことに「ありがとう」と感謝できる能力が、
神様によってインプットされているようです。
家族、夫婦、友人、知人、お金や仕事、健康……
目の前のことすべてに、心の底から手を合わせられるのです。
病気や事故のような、ふつうに考えると困難な出来事さえ、
私たちは「ありがとう」と言えます。
そういう私でいると、奇跡が起きます。

 

その言葉と、運営元のスタート前の挨拶「開催できるだけでありがたい」の言葉が結びついた。すると自分の中に感謝の気持ちがあふれ出してきた。

「こうして走れているだけで、ありがたいじゃないか。完走できる・できないよりも、走れていることに感謝しよう。開催してくれた人達。一緒に走っている人たち。さらには、この淀川という場所。痛くても走ってくれる自分の体に」

 

そう思うと、本当に不思議なもので、体の中から痛みがひいていった。疲労感もどこかへいった。信じられないかもしれないけれど本当の話。すべての不安が消え、こわいものがなくなった。ここからの自分はすごかった。さっきまでの疲労感が消え、筋肉の痛みもどこへやら!身体が軽くなって、どこまでも行ける気がした。科学的に言えば「ゾーンに入る」「ランナーズハイになる」という現象なのだろう。味わったことのない無敵感。なぜかスラムダンク安西先生の言葉がでてくる

「おい・・・見てるか谷沢・・・お前を超える逸材がここにいるのだ・・・!! それも・・・2人も同時にだ」

※実際には自分ひとり。でもなぜか、この言葉がずっとリフレインしていた。笑

「おい……見てるか谷沢……お前を超える逸材がここにいるのだ……!! それも……2人も同時にだ」 (get0ver.net)

7. 30~40km(10時)

そしてテンションは最高潮夏フェスのメインステージに、自分の一番好きなアーティストが、自分の一番好きな曲を、自分の一番聞きたいタイミングで歌ってくれるように、踊らずには(走らずには)いられなくなった。先のことなんて関係なしに、スピードが上がる上がる。気付けば39km地点なんて1km4分9秒で走ってたもんね。

自分でも衝撃的な速さだった。もう本当にどこまでも行ける気がした。

8. 40~50km(11時)

まだランナーズハイの効果は継続中。この区間10km58分で走り切った。

いつまでも続けばいいと思ったが、さすがにそういうわけにはいかなくなってきた。

9. 50~60km(12時)

身体の筋肉痛が徐々に自覚できるようになってきた。アドレナリンがきれだした。ここでまだ半分というメンタル的な疲れもでだした。さっきまでの無敵感がどんどん薄れていく。そして、ここからは未体験の領域。練習でも50kmまでしか、走ったことがなかったから。それでもここまで来たら、後は完走を目指すだけ。そういう意味で最初のような不安はなかった。けど・・・

10 60~70km(14時)

少しずつ休憩をとる回数も増えてきた。自分が選んだことだからと、できるだけ楽しく走ることを心掛けたが、やはりしんどかった。痛みもどんどんひどくなっていき、本当に修行の時間帯だった。コーラがこんなにおいしいと感じたのは人生ではじめてだったかもしれない。

11. 70~80km(15時)

ここで、少し被り物を着て走る人たちについて。今回のウルトラマラソンもそうだし、フルマラソンでもそうなんだけど、なぜかコスプレをしたり、被り物をしたりして走る人が一定数いる。はじめて見た時は全く理解できなかった。そんなより、走りやすい格好で、完走するほうが絶対よくない?ぐらいに思っていた。目立ちたいだけだろ。とも思っていた。しかし、本当につらいと感じだした時、そうした方々に元気と勇気をもらえることがわかった。彼らは楽しそうなのだ。どんなに距離が伸びても、すれ違う時には微笑んで「ナイスラン」「ファイト!」と声をかけてくれる。そして絶対に自分のスタイルを崩さない。50kmも走れば、もう被り物はとってもいいんじゃないかとも思うが、彼らはそうしない。そうと決めたら最後までその格好で走り続ける。これってもしかしたらすごいことなんじゃないかと思えた。相当、強い意志がないとできないのではないか。そんな考えが頭の中で浮かぶと、その先に出てくるのはやっぱり感謝の気持ちなのだ。すれ違うたびに声をかけてくれる。どんなに辛くても、そのスタイルを崩さず走る。目立ちたいだけだったら、わざわざこんなしんどい競技を選ばなくてもいいわけで、きっと彼らなりの強い信念があるのだろう。そういうのを感じられるようになると、身体はきついが心は楽になった。この人たちと一緒に最後まで走り切りたい。マラソンって一人で走るのに団体戦みたいな温かさがある。ただ走るだけなのに、本当に素敵な競技だなと思った。

12. 80~90km(16時)

ここまでくると、あとは気持ちの問題だけだった。身体の痛みにはかなり慣れてきたので問題なかった。ただ、肉離れや攣ったりしないように、気を使いながら走った。20kmは練習でもしょっちゅう走っている距離だから慣れたものではあるが、決して無理はしない。ここは未知の領域だから。だんだん日も暮れだし、涼しくなってきた。焦らずゆっくり最後まで油断せずいこう。そういう時間帯だった。

13. 90~100km(17時)

いよいよラスト10km。この時点でタイムは10時間3分。50km。70kmでエントリーしている人たちが続々とゴールしたのだろう。徐々に走る人も減ってきていた。そんな時、ここに来て「欲」がでてしまった。11時間30分をきりたい。あわよくば11時間11分のゾロ目でゴールしたい!そんなことを考えてしまった。

一人目の自分がいう

「あわてるな!ここに来て、肉離れでもしてみろ!最悪ゴール目前でリタイヤなんてことがありえるぞ!そんな人だって絶対過去に何人かいるぞ!やめろ!無理するな!確実にゴールを狙え!」と。

もう一人の自分がいう

「ここまできたら、最後はやりたいことやれよ!11時間11分でゴールするのが自分でおもろいと思たなら、それを目指せよ!慎重に行って、はじめの目標タイム。11時間半すらきられへんかったら完走したのに不完全燃焼とかいうもったいない状態になるぞ!あぁやっぱり勝負しとけばよかったぁ。なんて後悔するぞ!挑戦せんと!後悔より挑戦した方が人生おもろいやろ!」

それもそうか。と自分は後者の自分の意見を聞くことにした確かに、無理なら無理で、「95km」で力つきたというネタにもなるし。無理ならもう一度チャレンジしたらええやん!となって、最後のエイド(休憩所)はすっ飛ばして、残りは力を振り絞って、全力でゴールを目指すことにした。被り物をした人とすれ違う。

被り物さん「(君は)これで終わり?」

自分   「はい!ラストです!」

被り物さん「がんばって!今日は(互いに声かけあえて)楽しかったわ!ありがと う!」

自分   「こちらこそ楽しかったです。ありがとうございました!」

気付けば大声で叫んでいる自分がいた。

ペースを上げて走っているからか、これで最後だと気付いた沢山の人たちが自分に声をかけてくれる。「ふぁいと!」「がんばれ!」「ナイスラン!」

自分は「ありがとうございます!」しか言えなかった。

 

そして

 

 

ついに

 

 

 

ゴール!

 

記録は11時間12分59秒

 

目指した11分11秒には届かなかったが、59秒というのがなんともよかった。全力で走り抜けた感があって。。。

14.ゴール後

完走した証の記録証とタオルとメダルをもらった。それを持って、コーヒーをいただいた。フラフラでコーヒーがこぼれる。すぐにティッシュを貸してくれるスタッフさん。本当に感謝しかない。記念に写真も撮ってもらった。「逆光だけどいいですか?」「はい。それぐらいがちょうどいいです!」

 

15.帰路

ここからが本当にきつかった。寒気がするし、身体はいうことをきかないし、階段を下りるのに何分かかんねん!ってくらいに一歩がきつい。旅行の荷物を持ちながら帰るなんてどう考えても厳しいと思った。

そこで父親に電話

「助けて下さい(迎えに来てください)」

一時間後、父は来てくれた。

「よう走ったなぁ」

一言労って、家まで送ってくれた。

16.帰宅

東京の講習会と合わせて5日ぶりの帰宅だった。子どもと妻が「おかえりぃ」と玄関まで迎えに来てくれた。抱きしめたいけど、身体が思うように動かない。一歳の娘は5日間、会わなかっただけで、ものすごく多くの新しい言葉を話せるようになっていた。息子も父ちゃん(自分)がいなかった間にあったことをいろいろと教えてくれる。説明が上手くなっていた。妻は自分がいなかった5日間の大変さを愚痴ることもなく、せっせと晩御飯を温めてくれ、泊りに持っていっていた服の洗濯をしてくれた。お風呂も先に入らせてくれた。湯舟に浸かった瞬間、腹筋を攣っておぼれそうになった。日焼けした手の甲がヒリヒリする。顔はアネッサを塗っていたおかげで、痛くなかった(アネッサすげー)

息子たちにお土産を渡し、そのまま先に布団へ入らせてもらった。

こうして怒涛の一週間が終わった。

17.まとめ

夜行バスで東京へ行き、東京の隅田川を朝から走り、ライフキネティックの講習会で素敵な仲間と出会い、10年ぶりに高校の同級生と再会し、ネットカフェで腰痛になったが、ライフキネティックのトレーナーになることができた。仲間やライフキネティックの先生と別れを惜しむ間もなく、慌てて新幹線に乗って大阪へ帰り、それでもホテルに着いたのは23時で、寝たのは24時半。4時間睡眠の中、100kmマラソンに挑戦し、ランナーズハイを経験し、素敵な笑顔のランナーさんたちに出会った。励まし合い、助け合って100km完走という大きな目標を達成できた。電話をすれば突然にもかかわらず、優しい父が迎えに来てくれ、理解ある妻がささせてくれ、最愛の息子と娘が家で待ってくれていた。留守の間、息子と娘の面倒を見てくれていた、お義父さんとお義母さんとお義兄さんにも大いに感謝いたします。

人生は楽しい。

人生は面白い。

そして、

人生はなにより

 

「ありがたい」